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<If There Were No Minesに寄せて>

この曲に出会った日(ウォンさんのスタジオで、レコーディングした日なのだけれど)、
この曲は生きている、と思った。
どう表現したらいいのか、「意志を持っている」とでも言ったらよいのか、
自分でどこにでも行く力がある、と感じたのだ。
その予感は、的中。 まさか、ボスニアに行くことになるとは。(笑)
そして、あの日、ふと頭をかすめた、「News23なんて、いいんじゃない?」も、的中。
これはひょっとして、予知能力?
こういうカンは、よく当たる。

とにかく、この曲と出会って以来、私は、なかなか得難い経験をさせていただいている。
中でも、ボスニア・ヘルツェゴビナへの旅。
その旅で見たもの、聞いたもの、感じたものは、私の中で、ゆっくりと熟成されつつある。
詩を書いた少女の住む町へと、車で向かっているとき、とても美しい、「原っぱ」が広がっていた。
「わー、寝ころびたい!」 ごく自然にそう思った。
次の瞬間、 「あぁー、寝ころべないんだ・・・。」
これだけ美しいものを前にして、心が感じる無邪気な衝動を、表現することが出来ないのだ。
地雷の恐ろしさや、その状況は、情報として頭に入っていたけれど、 そのとき、私の心にストンと、入ってきた。

自分自身を、あるがままに表現すること・・・。
それを彼女は、「自由」と呼んだのじゃないか。

この旅で受けとったものを、言葉にするのは、難しい。
でも、それは確かに、私の中にある。
そしてそれは、この曲を歌うとき、言葉になる前の、「モヤーッ」とした何かのまま、 聴く人の心に、伝わっていくような気がする。
そんな、「モヤーッ」が、生々しく、あるいは熟成して、音楽を通して受け取ってもらえたら、うれしいと思う。

こんな素晴らしい機会を与えて下さった、ウォンさん、 そして、美枝子さん、小林さん、森さん、この曲に携わったすべての人達、 CDを買ってくださった方々、 そして、私達の心に、一粒の種を蒔いてくれた、ハセダさんに、 心から、感謝の気持ちを込めて。



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