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メッセージ from ウォン&美枝子 ボスニアの写真 CDの紹介
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ウォンウィンツァン ウォン美枝子
1999年の1月末、日本赤十字社のある熱血青年から、 今、世界には1億個以上の地雷が埋められていること、今もまだ生産され続けられていること、 除去のために1000年以上かかること、地雷の犠牲者に義足が必要であること、 それが彼らにとって大変高価であること、などなど説明を聞いたのでした。 「今、世界の地雷問題は想像以上に困難なのです」そう青年が語った時、私たちは一つの決心に至りました。 私たちはその詩に作曲し、CDにして発売し、得られた収益金を地雷の犠牲者のために使ってほしいと思ったのです。

エネルギーは高まり、作曲にすぐに取りかかり始めました。私はなんと一つの詩に8曲も作曲しました。 それだけ良い曲を作曲したいという想いが強かったのだと言えるのですが、 同時に13歳の少女がいったいどんな気持ちで「私はいつも自由を魂で感じている」などと書いたのか上手く理解できなかったのです。 喜びなのか、讃えているのか、希求しているのか、叫びなのか、あるいは祈りなのか。私たちはボスニアに行き、 地雷問題の現状を視察し少女に直接会いたいと思い始めました。 ただ単に作曲をし、CDを発売するだけではなく、地雷の犠牲者に会い、少女に会い、 ある何かの手応えが自分にはとても必要なのだと強く思ったのでした。

歌い手のIKUKOさんとの出会いもあまりに自然でした。私はこの曲を作曲しながらある声のイメージを持っていました。 東洋人でありながら西洋人、男の子のような女性のような、純粋で透明な声。 そしてこの歌のためにどんな女性が私の前に現れるのだろうか、とても楽しみに待つことにしていました。 しかし待つこともなくその女性は実に身近にいました。 CDの制作やコンサートなどの音響をいつも手伝ってくれるエンジニアの森卓也氏が以前、あるCDを私に託していました。 森氏がある歌い手に巡り会い、その才能に惚れ込み、最近その人のCDをプロデュースしたというものでした。 実はそのCDを聴いても私が求めるようなものはあまり見いだせなかったのです。 しかしある曲に微かな、ある気配だけは感じ取ったのでした。

彼女にデモテープを作るために歌ってもらうという名目で私の自宅のスタジオに呼び、歌ってもらうことにしました。 IKUKOさんとは初めて会い、地雷に関するいくらかの会話、曲に関するいくらかの説明、いくらかのリハーサル、 そしてたった一回の録音、それがすべてでした。プレイバックを聴きながら、それが私が求めていた歌であることに驚き、 興奮しました。まだピアノのパートやアレンジなどの準備が出来ていなかったので、うろたえたほどです。

8月下旬、私たちはTVニュース番組の取材をかねてボスニアに訪れました。 かつて私がした数々の旅行の中で、今回ほどハードで過密スケジュールで充実した旅はありませんでした。 地雷除去センター、地雷地帯、砲撃や戦闘で瓦礫と化したビル屋建物、義足製作所、犠牲者とのインタビュー、 作詩の少女とのインタビュー、その家族との出会い、地雷の傷跡が残る学校、子供たち、少年少女たち、ジプシーの子供たち。 ボスニア中を車で走り回って実に沢山の所へ行き、沢山のものを見、沢山の人々、沢山の子供たちに会ってきました。 すべて初めての場所、初めての人々。 驚き、恐怖、悲しみ、喜び、嘆き、愛、慈愛、笑い、無力感、純粋、無垢、怒り、ふれあい、齟齬、 希望に満ちあふれた旅でした。 「宇宙の計らい」という言葉がありますが、予定されていたことだけでなく、あまりにも偶然に起こったことが多く、 しかし、それらすべてが、ある何かに操られているとしか思えないほど意味があることばかりでした。 本当にすばらしい旅でした。

いろんな体験の中で、中でも特に忘れがたい二つの出来事を書いてみたいと思います。

ボスニアの片田舎に住む作詩者のハセダさんの家庭は職もなく、貧しいのです。 お母さんがパートで働き、二人の娘さんを学校に行かせています。 ハセダさんの夢は大学に進み、卒業したら赤十字の職員になって世の中のために働くことなのです。 しかし彼女が大学に行くための充分なお金はありません。著作権のいくらかでも彼女に入ればどんなにか助かることでしょう。 私たちはこのCDに関わるすべての人がボランティアで参加していること、 そして販売によって得られた収益金のすべてを犠牲者のために使いたいということを説明し、 協力してもらうことをお願いしました。 ハセダさんやその家族にとって、会ったこともない私がいったいどんな人間でどんな曲を作曲し、 CDをリリースすることによってどうしようとしているのか、いくらかの不信感があったとしても仕方がないことでした。 しかし会ってお話しする中で、私たちはお互いに大きな信頼で結ばれたのです。 そしてハセダさんの著作料も私たちに預けることを承諾してくれたのでした。 彼らの気持ちがどんなにか嬉しく、そして心がしめつけられました。

もう一つの出来事は犠牲になったある青年との会話でした。 青年は子供たちが手榴弾で遊んでいるのを見つけ、急いでそれを取り上げ遠くへ投げようとしたときに爆発し、 指を失い、破片が頭に当たり脳障害を起こしてしまったのです。 そのために大学を辞めざるを得なくなり、仕事にも就けません。家族にも職がなく、 寒い冬を越すための薪も手に入らないほど大変貧しいのです。 彼の話では、私たちのような視察に来る外国人には何人にも会い窮状を訴えてきた。 しかしいっこうに事態は良くならないと言うのです。自分はもう希望を見いだすことが出来ない、そう言うのでした。 彼は泣いていました。私たちは大変ショックでした。 私たちはCDを制作することによってボスニアなど地雷に脅かされて人々や犠牲者にいくらかでも希望を届けたいと考えていました。 しかし目の前にいる希望を失ったその青年に何もしてあげることが出来ないのです。 私は無力感に打ちのめされました。涙がこみ上げてくるのを押さえることが出来ませんでした。 今まで自分がとても不遜であったことに気づき、たいへん恥ずかしく思いもしました。

しかし私はその青年に会えて本当に良かったと思いました。 私はこの青年から大切なものを学びました。私はボスニアにこの青年に会いに来たのだとさえ思いました。 人を助けられるとは思い上がったことです。私たちは自分の出来ることを、ただただ静かにやって行くだけでいいのです。 自分の想いの量だけのボディーサイズにあったことを、気負わず誇らず、 ただただやり続けることが大切なのだと思い至ったのです。 その青年からそのことを気づかされたのです。 そしてボスニアに訪問することによって得たかった手応えがいかなるものであるのか、その時わかったのでした。

その時々に起こっていることを、きちっとすべて受け止めることが出来たとは、 とても思えないけれど自分が人間として、 あるいは音楽家として今回の旅が私にもたらしたものの大きさは計り知れないと思います。 その意味で私は旅行中とても幸せでした。(とっても大変だったけど)

詩に関わることによって、今日まで、そしてこれからも、実にたくさんのことを体験させられ、感じさせられ、揺さぶられ、 学び、成長させられました。 無意識のレベルで外側へと内側へとに行き交う振り子のようなものが、その振幅を大きくしたように思えるのです。

私がその詩を自分に引き受けることにYesとした瞬間から「宇宙のプログラム」にスイッチが入ったのです。 私はその詩に関わる人たちと交わり、赤十字の人たちに会い、その詩から曲を作り、歌い手に巡り会い、レコーディングをし、 ボスニアに行き地雷問題の現状を視察し、地雷の犠牲者に出会い、詩を書いた少女に逢い、ジプシーや子供たちに出会い、 メディアの人々に出会い、様々なことが連続して起こり私を導いていきました。 そのプロセスでは沢山の小さな奇跡が続きます。実に沢山の人から応援を得ることが出来ました。 ネガティブなことも起こりました。しかし障害に直面してもそれを越えられないとは少しも思いませんでした。

そしていつの間にか私は心の内側で何かが解放されていくのを感じているのです。 心の中でまた一つ自由になっていく自分を感じているのです。 やっていることは作曲した曲をリリース、それによって得られた収益金を地雷の犠牲者の応援に使うといった、 ボランティア的なことなのですが、人のためにとか自分のためにとかいう感覚はなく、 ただただ目の前に起こったことに自然に対処していくと、それは結果として自分のためでもあり、 社会に貢献していることにもなっているのです。起こるべき事が起こり、やるべき事をやらされていく、 結果としてそれは自分を癒していくことにも社会を癒していくことにもなっていたのです。

ウォンウィンツァン
1999.11.8
とても不思議です。  私はヒーリング、そしてボランティアという言葉が苦手です。本当の事を言うと、イヤです。 でも、今、正にそのことに関わっていてその事で生かされているのですから・・・。 イヤ、と言うこと、実は乗り越えなくてはならないこと・・・だったのです。 かつてはいちいち「ヒーリングではないんですよ」と説明(言い訳)していました。 でも言い訳すればするほどレッテルは貼られ、その言葉に振り回されます。 しかし、あまりにもそう言われるので、段々どうでもよくなってきました。 そして、今では、まったくどう呼ばれてもかまわないと思えるようになりました。

なぜそう思えるようになったのか?・・・それは、 今回この仕事をウォンが引き受け、ボランティアということにきちんと向き合える機会に恵まれたからです。 そして、新たなウォンのアーティストスタンスと向き合え、私自身とも向き合えたからです。 ウォンはNHKドキュメンタリー「家族の肖像」のご縁から、 何人かの方々を介してこのボスニアの少女の詩に出会うことになります。 ウォンが少女の詩中の言葉と、日本赤十字社の青年の熱意に動かされ、このことを引き受けた時から、 私の旅も始まりました。

私共はこれまでボランティアらしき経験は何度かありましたが、今回は違いました。 「今出来ることを出来る範囲で」を合い言葉にスタートしたつもりでしたが、試練が次々です。 ちょうど、サトワミュージックの仕事も増え、事務所化するしないの問題、9月のカザルスでのコンサート準備、 CD「WIM」のジャケット制作とリリース準備、ボスニア行きの為の準備、 スタッフに留守の間にしておいてもらう仕事の準備、残こる家族の為の準備、 帰って来てからの溜まっているだろう仕事の手配、新しいコンサートや仕事の依頼への対応と打ち合わせと仕込み、 メディアへの対応、しかも、完成したCDをボスニアに持って行きたい、 又はTV放映のときにはCDが完成していたい、このチャンスに社会にもっとコミットメントしたい、 もっとSATOWA MUSICを大きくしたい、そして日常のCD販売配送業務と様々な事務処理、家事、等々・・・ 異常な今年の猛暑の中(ちなみにクーラーなしだったんです。信じられない!) 誰かに分担すればいいという訳には簡単にいかず・・・ 丁寧に一つ一つ対応するというインディーズSATOWAのやり方(つまり、私のエゴですが)がすべて裏目に出てしまいました。 どれ一つまともに出来ず、完全にキャパシティオーバーです。とうとう過労でダウン。 ボスニアを訪れ、そのリアリティを持ってCD制作し今後の展開のエネルギーにしたいと願っていたのですが・・ 断念せざるを得ませでした。私のエゴに身体は「NO!」でした。出発3日前のドタキャンです。 ちょうどグランドクロスの時期だったのは偶然とも思えません。 余談ですが同じ時期、幾人もの友人、知人がそれぞれの窮地を体験しています。 後でこのことを知り、驚き、そして楽になり、元気づけられました。 ずうずうしいかもしれないけど「ノアの箱船」に乗れた気分でした。 私は、適切にサポートしてくれた友人たちに救われました。

さて、そして・・・ この行けなかった事が実は大きな意味を気づかせてくれることになるのです。 はからずも、ボスニアへ行けたウォンと行けなかった私の得た答えは同じでした。 そのプロセスはお互い随分異なるのですが・・・・ 私たちのボランティア・・それは、みんなの為だとか社会の為だとか、構えず、気負わず、おごらず、 誇らず、強要せず、自分のボディーサイズで、自分のリアリティで、出来る事をただやり続ける、それしかできない。 それでいい。

私たちは当初も前述のような意識確認をしてスタートしましたが、ボスニアへ行けた事と, 行けなかった事を体験した今では認識の意味と深さが随分違います。 「募ることはしないで下さい。自分の目の前の助けを必要としている一人の人に手をさしのべる。 そして余裕があればその隣の人へ、そして又隣の人へ・・ただその繰り返しです。」 マザーテレサの言葉がとても意味深く重なります。 「沢山の人々を募って基金を集めます」と意気揚々とマザーに告げたあるカメラマンにおっしゃった言葉です。 この精神は、すべてに重なるように思えます。

  ウオンがボスニアで体験した様々なみやげ話を聞き、一気にジャケットのデザイン制作、 フィニッシュワークにかかりました。今、私が出来ること・・・を。沢山の想いと祈りを込めて。 いつもCD制作のプロセスには実に絶妙な「からくり」が組み込まれていて、 (ウオンは「宇宙の計らい」と申していますが)私達は試されます。今回も又格別でした。 3月末に訪問するはずのボスニアも、コソボ紛争の為、出発2日前に中止。 ニュース23の放映も、延期、延期又延期で9月20日の予定が10月26日になり、 オオカミピアニストからやっと解放されました。 (もっとも本人はどうもこの呼び名がお気に入りの様子で楽しんでいましたが) 他にも今回、実に様々なネガティブアクシデントが起きました。 でも、常にポジティブに捕らえ、乗り切るウォンでした。とにもかくにも皆様に聴いて頂くところまで漕ぎ着けました。

さて、でもこれからが次のステップです。 私たちのまわりには、簡単に「ボランティア」だけでは言い尽くせないほどの活動をなさってる、 心から尊敬する方々が沢山いらっしゃいます。 そしてとても勇気づけられています。未熟で手探り状態の私共ですが、喜びと共に楽しみながら活動したいと切に願っています。

最後になりましたが、文化パステルの皆様、日本赤十字社の皆様、ミキサーの森さん、歌のIKUKOさん、 カメラマンの水野さん、東京ビデオセンターの佐野さん、木村さん、読売TVの荒井さん、印刷の太田さん、 本当にお世話さまでした。ありがとうございました。 そして、詩の少女、ハセダさん、ご家族の皆様・・・ そして、地雷の犠牲になってしまったあの青年・・・ ボスニアでのこの二人とウォンとの出会いは、これからの私たちの活動を大きく導いてくれることになると思います。 ただただ、感謝です。

PS・CDジャケットに、恥ずかしながら今回もやはり数ヶ所、校正漏れで誤字(ミス)が有ります。 見つけた方、よーく読んで下さってありがとうございます。そしてお許し下さい。 気がつかない方、ありがとうございます。どうぞそのまま・・・気がつかずにいて下さい。(ミスSATOWAより )

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